PEOPLE 1のワンマンに行った際に作詞作曲を担当されている「Deuさん」が、「DOGLAND」の歌詞はもっと評価されてもいいと思うんだけどなあ、と言っていました。
「DOGLAND」の歌詞に込められた想いが気になり、「チェンソーマン」を全巻読み返して、「DOGLAND」の考察をしてみました!
なかなか解釈が難しい部分もあり、ぜひ皆さんの考察もお聞かせしてほしいです!
それでは、さっそく考察です!
※本考察には「チェンソーマン」のネタバレ要素が多く含まれております。閲覧注意です!
※著作権の関係上、本サイトには歌詞を載せれていないので、歌詞は他のサイトからご確認ください、、!
「DOGLAND」とは
「DOGLAND」は、アニメ「チェンソーマン」の第10話のED曲です。
「チェンソーマン」は、作者の「藤本タツキ」により週刊少年ジャンプで2019年1号から2021年2号まで連載された漫画であり、2022年にアニメ化されました。
また、2022年からは少年ジャンプ+にて、第2部が連載されております。
「Deuさん」はチェンソーマンのファンでもあるようで、公式サイトにて下記のようなコメントをしております。
1話目をジャンプで読んで、とても興奮したことを覚えています。その頃はPEOPLE 1自体やっていませんでしたから、まさかED曲を担当することになるとは。
チェンソーマンの強い世界観に負けないような、最高にクールで強引な感じの曲になったかなと思っておりますので、皆様お楽しみに。
「DOGLAND」考察
「DOGLAND」は、アニメのストーリー以降も含めた、「チェンソーマン」第1部のデンジの心情を表現していると思いました。
楽曲の構成は下記のようになっており、基本的にはストーリーの順番通りになっていますが、1番と2番のAメロはデンジが公安で働き始めたときの心情、1番と2番のBメロではデンジが「女の胸を揉む」という目標を達成して燃え尽き症候群になってしまった時の心情を表してるのではないかと思います。
- 1番Aメロ
- 1番Bメロ
- サビ①
- 2番Aメロ
- 2番Bメロ
- サビ②
- Cメロ
- サビ③
1番のAメロ
マキマと出会ってから公安で働く日々について表現されていると思いました。
漫画の第1話で、デンジはポチタに向かって普通は食パンにはジャムを塗るらしいけど、そんなのは自分たちにとっては夢ような話だと言っています。ここから、デンジは普通の生活を送ることがどういうことなのかを知らない、つまり曖昧な感情を持っていることが読み取れます。
第1話の最後で、デンジはマキマから公安に入れば朝食にジャムを塗った食パンを食べれると言われ、公安の仕事内容もよく分からにまま(労働に対する曖昧なイメージのまま)、公安で働くことを決めます。
そして、第2話でマキマから自分に言うことは絶対であり、言うことを聞かなければ殺される、といった犬のような扱いを受け、デンジの都合などお構いなしには働かされます(なりふり構わない徴兵制)。
結局公安に入っても誰かから支配され続けることは変わらず、それはまるで死ぬまで続く呪い(狂った呪い)のようなものです。
そして、自分がいなくなっても代わりはいくらでもいるという状況(次は誰だ)はまるで負け犬のよう(こんなザマでは勝てるわけがない)です。
1番のBメロ
ポチタの生前、デンジはポチタに自分が死んだら体を乗っ取ってほしいと伝えていました。
この「心臓をあげる」という表現は、デンジのポチタに対する想いにも思えましたが、アニメのEDのBメロのときの映像が「マキマに食べさせてもらったうどん」、「マキマからもらったコーラ味のチュッパチャプス」、「マキマの胸を揉もうとするしぐさ」であったことから、マキマに向けての想いだと考えられるので、その前提で考察します。
第12話で、デンジは「女の胸を揉む」という目標を達成し、燃え尽き症候群になってしまっていました。
そのとき、マキマから銃の悪魔を倒しえてくれたら、なんでも願いことを叶えてあげると言われます。
デンジはこの言葉に再び目標を見つけ、頑張り始めます。
デンジがマキマに心底惚れており、ポチタがデンジの夢である普通の生活を送ることを叶えるために自分の心臓をあげたように、マキマの銃の悪魔を倒すという夢を叶えることを「心臓をあげる」と比喩したのかなと思いました。
(これはこじつけかもしれませんが。。)
そしてデンジはマキマの願いを叶えることで、自分の願いも叶えてもらう、つまりマキマに対する自分の想いに応えてもらい、支配され続ける状態から脱出(呪いを解いてもらう)ことを期待していたのかもしれませんね。
マキマと初めて出会ったときに自分を抱きしめてくれた時のように。。
サビ①
サビではデンジがデビルハンターとして公安で活躍する姿が表現されていると思います。
チェンソーマンはあくまでも悪魔なので(ダジャレじゃないです笑)、ダークーヒーローとして悪魔を倒す姿を「悪名が馳せる」と表現しているのだと思います。
チェンソーマンになると、デンジはチェンソーで体が切れい痛いと言ってましたが、マキマへの恋愛感情に悶えながら(身を焦がす)、苦労もいとわず(身を粉にする)戦います。
倒されても何度でも立ち上がり(それはまるで止まぬ雨のような開けぬ夜のようである)、チェンソーのエンジン音を鳴り響かせます(うるさいファンファーレ)。
2番Aメロ
Aメロでは再び公安で働き始めるようになる日々について表現されてます。
公安で働く前は、借金返済のために寝る暇もないくらい働いており、デンジに休みはありません(金曜の夜でも寝れない)。
漫画の中で描写はありませんが、生きるために時には窃盗を行ったり、誰かから説教されることもあったかもしれません。
しかし、基本的にデンジは誰かから説教されても聞く耳を持ちません(興味がない)。これはアキと出会った当初の態度から分かります。
そして第1話でマキマから自分に飼われて公安で働くか(死にたくて生きるか)、ここで死ぬか(行きたくて死ぬか)の2択を迫られます。
デンジにとっては、自分のために犠牲になったポチタのために、生きる選択肢をすることは自明です。
しかし、マキマにいきなり犬のような扱いを受け、失敗すればすぐに殺されてしまうような環境に身を投じた(多勢に無勢)ことが分かり、それは負け犬決定の選択肢であることが分かりました。
2番Bメロ
第12話で「女の胸を揉む」という目標を達成したデンジは、追いかけていたものをようやく掴んだとしても、実は大したことないものだと分かるだけであれば、それを手に入れてもどうしようもないと思います。
追いかけているときの方が実は楽しいなら、自分に嘘をついてでも目標なんで持たずに、受動的に生きた(列が呼ばれたら進む)方がよいのではと感じるデンジの心情を表現しているのかと思います。
サビ②
これは、第71話から第73話で描かれている、デンジとアキとパワーの3人で幸せに過ごす日々を表現していると思います。
朝食で食パンにジャムを塗り、これまで自分が何となく思い描いていた普通の日々を紡ぎます。
それは本当にありきたりな日々ですが、見開きや扉絵になるくらい幸せな生活で、この現実が嘘くさくも感じます。
そうした日々にデンジも安心しきった気持ちになり、いつしかマキマよりも早川家での日々を優先するようになります。犬は安心したり、リラックスしているときは腹を見せるため、この「腹を見せろ」という表現から、デンジを犬に例えてデンジの気持ちを表現しているのではないかと思います。
Cメロ
しかし、幸せだった早川家での日々は終わりを告げます。
第79話でアキはデンジにとって最悪な死を遂げ、第81話でパワーもマキマに殺され、デンジにとっての夢見心地な日々は終わりを迎えます。
そして第82話でデンジはマキマから、幸せだった早川家の日々はマキマが意図的に用意したものであり、それを壊したのもマキマ自身であると告げられます。
これにより、デンジはこれから先、自分の幸せを終わらした元凶を見つけ出して壊したとしても、また誰かが壊しに来るのではないかと思います。
サビ③
ここでのデンジが身を焦がしている相手は、恋愛感情ではありませんがアキとパワーに対してなのではないかと思います。
アニメのEDのこのときの映像が、デンジがアキとパワーのもとに向かって走って行く姿のためです。
そして、今まで仲間が死んでも何とも思わなかったデンジは、アキとパワーがいなくなり初めて孤独という感情を知りました。
この孤独もマキマに作り出されたものであり、デンジはマキマのせいだと思いました。
まとめ
以上が「DOGLAND」の私なりの考察です!ここまでお読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
私も自信がないところが多いので、是非皆さんの考察もお聞かせ願いたいです!
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